藍坊主『月の円盤』インタビュー【前編】

藍坊主が約4年ぶりにミニアルバム『月の円盤』をリリースした。コロナ禍、メンバーの脱退という変化を経て、今のバンドの状況を何よりもメンバー自身がワクワク楽しんでいる。そんな中で生まれた今作『月の円盤』は、みずみずしさあふれる作品になっている。ぜひ新生藍坊主の音楽をたっぷりと堪能してほしい。

取材・文/大窪由香

PROFILE あおぼうず●(L→R)藤森真一(Ba)、hozzy(Vo)、田中ユウイチ(Gt)。神奈川県小田原出身のロックバンド。1998年結成。2004年5月にアルバム『ヒロシゲブルー』でメジャーデビュー。2015年に結成15周年を迎え、自主レーベル「Luno Records」を設立。2023年5月24日にミニアルバム『月の円盤』をリリース。6月18日(日)神奈川・LIVE HOUSE 小田原姿麗人より全国ツアー〈aobozu TOUR 2023 〜未確認 IN THE NIGHT〜〉がスタートする。

■いろんな可能性を感じていて、今はすごくモチベーションが高まっています

──2019年7月にリリースしたミニアルバム『燃えない化石』より、約4年ぶりにミニアルバム『月の円盤』を5月24日にリリースされました。この4年の間、コロナ禍という困難もありつつ、2021年8月にドラマーの渡辺拓郎くんが脱退するという出来事もありました。バンドや音楽と改めて向き合う期間だったのではないかと思いますが、みなさんはどんなことを考えていましたか?

hozzy:拓郎から脱退の話を最初に聞いたのはコロナ前の、前作の『燃えない化石』を作り終わったぐらいの頃で。その時に心の準備みたいなものは一回できていて。一緒にできる可能性をメンバー全員で話しながら、もうちょっと続けてみようってことになって、もっとしっかり活動していこうとしたところでコロナ禍になってしまったんですよ。そんな中で最終的に「続けるのはちょっと厳しい」という話になって。藍坊主もみんなそれぞれいい歳になって、自分達で判断できる年齢でもあるので、拓郎が違う方向に進むのであればしょうがないかなと。それからは、ファンの方にどう伝えようかっていうことを一番に考えましたね。コロナ禍で脱退のライブができるのかどうかとか。結局有観客ではできなくて、配信にさせてもらったんですけど、その辺りの頃はすごくヒヤヒヤしてました。

田中ユウイチ(以下、田中):拓郎が辞める経緯は今hozzyが言ってくれた通りで、拓郎はバンドにとってもファンにとってもすごく重要なメンバーだったので、彼が抜けるということはバンドにとってすごく大変なことになるという状況をもちろん全員理解していたんですけど、自分はこれでもう藍坊主を続けていくのは厳しいなとか、そういう気持ちには全然なってなくて。hozzyもモーリー(藤森)も俺とまったく同じ気持ちで、誰からも解散とか、活動を少し緩やかにしていこうかとか、そういう話が出なかったから、なんか心強いなと思ったんですよね。バンド活動自体大変になる部分はあるかもしれないけど、まだ自分達がやりたいこと、やるべきことがしっかりあって、そこにみんな目線が向いているということを確認し合えたので、より結束は強くなったなと思います。

藤森真一(以下、藤森):2人が今話したことと僕も同じ気持ちで。解散という発想は全然なくて、むしろ前向きに捉えなきゃっていう感じでした。僕以外のメンバーもスタッフも、ファンのことをすごく考えていて、コロナ禍で有観客でライブができるタイミングを探したり、会場を探したり、過去のツアースタッフも駆けつけてくれて、みんなで協力してくれたんです。ファンの方になるべく拓郎との最後のステージを観てもらってお別れするのがいいんじゃないかってギリギリまで考えて。それが叶わなかったのは残念でしたけど。脱退の発表があった数日後には、hozzyとユウイチの2人は京都でアコースティックライブがあって、そこで全然マイナスな気持ちじゃないぞってファンに伝えてくれて、ファンもそれに応えてくれた。それがすごくありがたかったですね。あと、サポートドラマーとしてHAZEさんに入っていただいたんですけど、HAZEさんがめちゃくちゃいいんですよ。前にいた事務所での先輩バンドのドラマーで、僕らが独立して一発目に出した『Luno』(2016年)というアルバムも、HAZEさんのスタジオでドラムを録ってくれたんです。僕らを支えてくれた人が、またここでも支えてくれて。彼のドラムが加わることで、バンド全体の演奏や歌もめちゃくちゃ良くなってきたんです。僕もみんなに後押しされるようにベースもさらに頑張らなきゃなって、すごく前向きな気持ちになれたので、コロナ禍も前向きに捉えられたかなっていう感じでした。

──新たにメンバーとしてドラマーを入れようというわけではなく、3人でやっていこうということだったんですか?

田中:そうですね。みんなで話していく中で、やっぱり3人の思いこそ藍坊主なんだなっていうことが改めて確認できたので、それと同じ思いでやっていけるメンバーを入れるっていうことが、今の時点では全然考えられなくて。まずはこの3人で藍坊主っていうものを確認して、そこで音楽を鳴らしていこうっていうことで、自然とサポートを入れるという判断になりました。サポートドラマーとして最初に声をかけたのがHAZEさんなんですけど、きっと良い形で藍坊主の音楽がもっと高まるようなドラムを叩いてくれる人のような気がしていて、その思いでHAZEさんを誘ってスタジオに入ってみたんですけど、正直最初にみんなでバーンって音を出した瞬間に、すっごい藍坊主だったんですよ(笑)。サポートキーボードのツタ(ナオヒコ)さんも含めてなんですけど、雰囲気が一気に藍坊主になったので、その瞬間に“あ、俺らは大丈夫だな”っていう気がすごくして、バンドを前に進めていけると確信出来たんです。だからこの形でいきたいですね。

藤森:うん、一緒ですね。僕も同じ気持ちでした。

──HAZEさんはジャンルレスでいろんなところでご活躍されている方なので、音楽的にも新しい広がりが生まれそうですね。

田中:むしろHAZEさんが入ることで、昔の曲であまりやってなかったような曲、「星のすみか」とか「生命のシンバル」とか、ファンもライブで聴きたかっただろうなっていうような曲もどんどんライブでやるようになったんです。メンバーからもあの曲やってみたい、この曲やってみたい、というのがどんどん出てきて。ライブでのバリエーションもより増えて、モチベーションも上がりましたね。それがすごく楽しいです、今ライブをやっていて。

──いいですね!「星のすみか」聴きたいですね。

田中:ほんとに新体制になってから、セットリストのバリエーションが、全然変わりましたよ。いろんな可能性を感じていて、今はすごくライブへのモチベーションが高まっています。

──ところで、3人とも40歳になりましたが、何か変化はありましたか?

hozzy:アハハハ!突然?!

──出会ったのが21とか22歳の頃だったから、藍坊主がもう40か〜としみじみ思いまして(笑)。

藤森:変わらないですよ、そんなに(笑)。むしろ前よりも1日1日が濃い感じがしますね、30代の頃よりも。そういえば大窪さんと出会った頃もこの3人でしたよね?

──確かに、出会ったのはデビュータイミングだったので3人でしたね。では話を戻しますが(笑)、その音楽的な広がりみたいなものを今作『月の円盤』で感じ取れたのですが、今作の制作はどんなふうに始まったんですか?

hozzy:基本的には動き出す前から藤森が曲のストックをいっぱい作ってくれていて。それこそコロナ前から、特にコロナに入ってからもそうですね、いっぱいデモを作ってくれてたんですよ。藤森から曲が出来上がるたびに連絡もらってスタジオに行って歌を入れてみてデモを作るみたいなことを、ずっと繰り返していて。コロナがちょっと落ち着くのが前提ではあったと思うんですけど、曲がすごく溜まっていったらリリースなのかなとは思っていました。正直俺はコロナ禍に入ってからモチベーションがあんまり上がらず(笑)、曲作りはほとんどやってなかったんですけど。そのデモ作りが継続的にあって、コロナがちょっと落ち着くのかなっていう去年の夏ぐらいですかね。HAZEさんとも一緒にやって、どんどん呼吸が合ってくるようになったし、そろそろ作品を作り始める頃かなってみんなが思い始めたのが、ちょうど一年ぐらい前で。そこら辺からだんだんhozzyも曲作ろうかなって(笑)、今作に向けて個人的にゼロから作っていく、みたいなことを始めた感じでした。

──その頃に出来たのが「夏の金網」ですか?

hozzy:そうですね、「夏の金網」はすごい大事ですね。拓郎が脱退って発表してライブが終わって、その後のまっさらな状態から藤森がメロディを作ってくれて、「これすごいいいね」って全員がなって。で、ユウイチがアレンジをすぐに作ってくれて、歌詞をhozzyが書いて。3人で連携して作ったみたいな感じでしたね。

田中:やっぱり拓郎が脱退して、次にリリースする音源はどういうものであるべきかって考えた時に、今までのストック曲というよりは、脱退というのを受けてからまた3人で改めて作った曲を一番最初にリリースするべきだよねってなったので、「夏の金網」はこの3人でまっさらな状態から作った曲って感じですね。アレンジでは自分がドラムを打ち込んで、それにバンドで合わせるってやり方をしていたんですけど、それが拓郎の音じゃなくなるっていうのがバンドにとってどういう感じになるのか、最初のリハに入るまでは少し不安でもあり、楽しみでもありっていう感じだったんです。だけど、さっき言ったようにHAZEさんに叩いてもらった瞬間に藍坊主の音になって。自分のギターもモーリーのベースもhozzyの歌もすごい引き立つ音の形になっていて、テンションが上がりました。アルバムはその勢いの中でどんどん作り上げていった感じです。

藤森:僕もほんとに新しい藍坊主のスタートぐらいの気持ちで……僕らはメジャーデビューの時もドラムが抜けてしまったという経験があって。なんかその頃の感じを思い出していました。どうせなら新しいイメージに挑戦したいと思って、集中して曲を作っていって。ストックを貯めていって、後で合体させるような作り方が多いんですけど、「夏の金網」については1週間ぐらいメロディのことをずっと考えていて、歩いてる時にもメロディを作って(笑)。そんなふうに集中した作り方をした曲だったんですよ。いい曲が出来たなってメンバーやスタッフが共感してくれて、すごくいい連鎖が生まれたんです。アレンジのピアノはユウイチが作り込んでくれたり、hozzyの歌詞が生まれたんだけど、「やっぱり1番と2番の歌詞を全部ひっくり返します」みたいなのが来たり(笑)、それぞれがこだわって作っていった思い出深い曲ですね。

──そうでしたか。「夏の金網」にしても「プールサイドヒーローズ」にしても、先ほどみなさんが言ってくれたように一聴して“おー!藍坊主だな!”と思えるサウンド感になっているんですけど、歌詞の方はどうですか?歌いたいことに対する変化ってありますか?今回、過去の自分を見つめている視点だったり、死生観みたいなものを全体的な印象として感じたのですが。

hozzy:たぶん、それが40歳になったっていうことかなと(笑)。実はそこが自分の中で結構変わったところで。特にこのコロナ禍の2、3年で自分の中で大きく変わった部分があったなと思っていて。それでバンドをどうこうするということでは全然ないんですけど……歳とかじゃなくてやっぱりコロナですかね(笑)。

──やっぱり考えることはありましたか、コロナで。

hozzy:めっちゃあったと思いますね。人と会えない時間がすごい長くなって、それが当たり前になった時に、普通に友達と飲みに行ってたこととか、すごい楽しかったんだなって改めて思えて。親族にもなかなか会えなくなっちゃったりだとか、そういうことも大きかったなと思いつつ。あと、自分の家族も子供がわりと大きくなってきたんですけど、そういうところで子供と同じ年齢だった頃の自分とか、その頃自分が見ていた親のことだとか、そういうところがちょうどリアルにフィードバックするような時期でもあったのかなと思っていて。今言ってもらった死生観というとちょっと大げさかもしれないですけど、そういう部分はあるかなと思いますね。

──藍坊主の楽曲は私にとってずっと哲学なんですけど、どちらかというとアイデンティティの追求みたいな、そんな印象があったので、そこからの変化というものを今作で感じました。一曲目の「卵」はどういうところから着想を広げていった曲ですか?

hozzy:身近にあるものから内容を広げていくっていうのは、藍坊主で共通してやっていたことだなと自分では思うんですけど、やっぱりコロナ禍の中で当たり前だったものがすごく大事なものになっていったりする経験を肌感で毎日感じていて。自分のコラムでもよく書いてたんですけど、空を見るようにしたんですよ、コロナ中に。それを言うとちょっと詩人みたいですけど(笑)、そんなことじゃなくて、精神安定上そういうふうにしていたんですね。空ってコロナ前もコロナの時も全然変わらず青かったり曇ってたりして、自分達の生活はすごい大変だったけど、空は全然変わらないよなと思って。たぶんあの時大変だったのは人間だけだったと思うんですよ。音楽やってる自分達にもいろんな制約があるんだけど、今大変なのは人間だけなんだなって思うと、ちょっと安心するというか。自分達だけなんだなっていう、確固たる世界なんだっていうことをまず一つ感じられて。そういうところから卵って“どこにでもあるようなもの”であったり、何かの“始まり”みたいな、可能性が詰まっているものだったりする象徴的なものだと思うんですよ。最初はタイトルも全然ない状態で卵をフレーズに入れた歌詞を書いていて。で、確か年末の忘年会ライブの配信をやった時に、そこで初めてこの曲を弾き語りでやったんです。メンバーにもファンにもそこで初めて聴いてもらって、「タイトルはどんなのがいいですかね?」ってファンの方に聞いたら、「これはどう考えても『卵』じゃないですか」って言われたので(笑)、それを採用させてもらいました。

──確かに、どう聴いても卵ですね(笑)。変わらないものではありますが、今、卵の価格が高騰してますからね。

hozzy:そうなんですよね!卵まで当たり前じゃなくなるって思わなかったですからね。

田中:本当にそうだよね(笑)。

──作曲は藤森くんとの連名になっていますが、共作という形ですか?

hozzy:最初Aメロが全然違うバージョンで全体までhozzyが作ってたんですけど、Aメロのメロディが気に食わないなとずっと思ってて。で、こういう時は藤森先生にお願いしようと思いまして(笑)。アイデアがあったら欲しいんだけどって言ったら、2、3日ぐらいで2パターン作ってくれて。それを聴いたら両方とも良かったんですけど、特に今のバージョンがBメロとの繋がりも良くて、よりメロディが活きるなと思って、合体するみたいな形で使わせてもらいました。

藤森:この曲は本当にめちゃくちゃいい曲だなっていうのがまずあって。僕はAメロも好きだったんですけど、特にBメロとサビが好きで。歌詞も良くてめちゃくちゃ印象的だったので、だからこそ(Aメロのメロディが)早く出来たんですね。

hozzy:それ、俺は逆の場合が多い気がするんだけど、さすが藤森先生(笑)。

藤森:めちゃくちゃテンション高く頭の中に刷り込まれてて。この曲は刷り込みがすごくて、記憶に残る感じだったのですぐにメロディが思い浮かびました。

──アレンジはどのようにつけていきましたか?特にピアノとギターとの絡みが力強く、ポジティブな感じがあっていいなと思いました。

田中:これはアレンジしていく中で、テーマフレーズはピアノが引っ張る感じにしたいなっていう流れで。先にギターパートが出来上がってからピアノをつけてもらいましたね。これはプロデューサーの時乗(浩一郎)さんにつけてもらいました。もう長年の付き合いなんで、呼吸はばっちりでしたね。

 

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